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プロフィール

はじめまして。

安心して毎日が送れるようになる
対人不安解消カウンセラーの 

     はなみねあかり です

~カウンセリングはあなたとカウンセラーの共同作業です~
どちらが一方が話すのではなく、2人で協力しながらより幸せになる方法を探してゆきます。

今からカウンセリングを受けよう、と思い立った方も、カウンセラーとの相性は気になるところだと思います。

そうでなくても、カウンセリングを受ける前は、カウンセラーがどんな人なのかは気になりますよね。 

どうぞご参考になさってみてください。

実は、かつての私は、40年もの間にわたって生きづらさに苦しんでいました

幼少期~学生時代】 他人の表情や雰囲気に敏感な幼少期を経て、親や先生の価値観通いていました。小・中学校時代に自分の価値や本心を見失いました。神経質、と決めつけられて誰にも苦しみを打ち明けられず、わずか9歳で胃潰瘍を患いました。本音を話すことは誰にもできず、常に心は寂しさと虚しさでいっぱいでした。

わずかな社会人生活からひきこもりへ】社会に出てからは1年間で四回もの転職を経て、引きこもりに。その後、ご縁があり、結婚、出産という喜びもありましたが、小学校のPTA役員で思わぬ”心の癖”が発動します。「他人と違う意見を思う自分はおかしい」そんな思いこみから、自分の意見を押し殺し続け、心と体がバラバラになりました。ついに、急性十二指腸潰瘍炎で救急搬送されることになります。

カウンセリングとの出会い】療養生活中に、カウンセリングに出会います。貪るように心理学の本を読み、出来る心理療法は自らの心身を実験台に試しました。そして気づいたのは、生きづらかったのは幼い時からの”心の癖”が抜けていなかったから。この癖も、小さい時からの悲しい経験も、練習次第でいくらでも変えていける事。”生きやすい”心の癖”を身に着けることで、穏やかで心安らかな日々を送ることが出来るようになりました。対人関係の不安が消え、本当に幸せな毎日が手に入ったのです。なにより、自分が穏やかだと、周囲の人まで穏やかな表情になっていくのが発見でした。

現在】同じような苦しみを抱いている方に、穏やかな生き方を伝えたくて、カウンセリングを行っています。”心の癖”を生きやすいものにするのが早ければ早いほど、残りの人生が幸せなものになります。そして、あなたの幸せは、周りの人の幸せにもつながります。誰もが穏やかに安心して暮らせる社会を作る、それが目標です。

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せっかくこのページまでたどり着いて下さったのです。

あなたが幸せになるお手伝いをさせて頂けませんか?

難しいことは一つもありません。

お悩みを話すことから初めて

”心の癖”を改善する練習を、あなたのペースに合わせて、少しずつ初めてゆきましょう。

↓詳しいプロフィールはこちらから↓

心にぽっかり穴の開いたような状態の幼少期

「優しさ」が一番の価値だと思っている子どもでした。

本が大好きで、心優しい主人公が最後には幸せになる、というストーリーが最も好きなパターンでした。

同時に、常に他人の何気ない雰囲気や表情を常にうかがっている子どもでもありました。

例えば描いた絵を「上手だねぇ」とほめてくれていても、本心ではそう思っていない、と瞬間的に見抜くことが出来ました。しかし、それを口に出すと、友達も大人も喜ばないと分かっていたので、誰に相談できすることもできませんでした。

心の中ではつねに独りぼっちでした

両親は愛情深い人でしたが、それと同時に「子どもは親の命令通りに動くもの」「親がカラスは白い、といえば白いと思え」という方針の人でした。何度も何度も言い聞かされるうち、すっかり私もそういうものだと信じ込みました。

4つ年下の弟がいましたが、遊びの相手と寝かしつけは私の仕事。

小さな弟はかわいらしく、その笑顔が大好きだったので、周りの人も笑わせたい、と思うようになりました。 しかし、母に向かって笑わせようとふざけたことをすると「バカみたいだからやめなさい!」と、叱られるばかりで構ってもらえることはありませんでした。

また、冒頭に”本が好き”と書きましたが、絵本を読んでほしいと頼んでも、親は別室に私を連れてゆき、朗読のレコードをかけ、これを聞きなさい、と言って、私を置いて出てゆくのが常でした。
レコードの方が上手に読んでるから、というのが理由だったそうですが、私は親のぬくもりが感じられる場所で、親の声で聞かせてほしい、という気持ちを上手く伝えるすべを持っていませんでした。

小学校に上がる前には、「我が家の子は、何でも一番で当たり前だから」と言い渡されました。
テストで100点をとっても、かけっこで1番になっても、すべて「当たり前」で済まされ、結果についても、頑張った過程についても、褒めてもらえることは一度としてありませんでした。

胸の中にぽっかり穴が開いた気持ちでしたが、それが「寂しい」と表現される気持ちだとは、幼い私にはまだ理解できませんでした。

知らない上級生に突然集団に囲まれる

~誰も信じられない日々~

他人の顔色を読むことに長け、口数も少なく無難に過ごしていたため、家でも学校でも「いい子」の役割を求められました。

先生からも親からも「何かあればあなたが我慢しなさい」と言われ続けました。

「我慢して他の友達に譲ってあげている自分はいい子だ」という思いが支えになってはいましたが、

「私もやってみたい」「私も欲しい」と思う事すらダメなことだ、と信じ込むようになっていきました。

小学校3年生の時に、父親の転勤に伴って転校しました。

外を歩いていただけなのに、全く知らない上級生から突然集団で囲まれるなどのいじめに遭いました。

安心して道を歩くことすらできない恐怖を忘れることが出来ず、表面上は友達・学校と社会的な生活を送っていましたが、心の奥底では誰も信じられなくなりました。


また、いじめの理由が見た目であったため、私がみっともない顔を出して歩くと、道行く人は嫌な気持ちになるのでは?と不安になりました。
学校の友達さえ、普段仲良く遊んでいても、本当は私の事が嫌いなのではないか?と、いつも自分に自信が持てませんでした。友達にとっては失礼な話ですが、それぐらいおびえていたのです

わずか9歳で胃潰瘍を発症。

小学校4年生の時、心の限界が体に現れました。

わずか9歳で胃潰瘍を発症したのです。

「子どもなのに胃が痛いなんて、そんなことあるわけない」、と胃痛をなかなか親に聞き入れてもらえず、受診が遅れました。

検査の後、医師にもう少し診断が遅れていたら胃穿孔になっていたと告げられました。

同じ年に、喘息の大きな発作も起こしました。同じ症状で亡くなった患者さんもいるという程の状態から、やはりギリギリの受診で一命をとりとめました。

今から思うと大変運が良かったと同時に、常に心労からくる死と紙一重で過ごしていたことがよく分かります。

“ストレス”という言葉は今でも一般的ですが、当時親や医師からかけられた言葉は「この子は神経質な子なんだねえ」というもの。

自分でも、「きっと神経質な自分が悪いんだろう」と思い込みました。

周りに合わせてばかりの中学時代 

~登校するのが怖いと感じるように~

中学に入り、明るくてノリの良い生徒の多いクラスに入りました。

知っている友達が1人もいないクラスの中で、更に自分の思っている意見を言えないようになり、周囲の意見に合わせるか、黙っているようになりました。

自己肯定感は皆無となり、1年生の1学期にいじめに遭いました。人間ではない別物のように扱われました。

動物園の動物のように、自分は檻の中にいて、周りの友人がそれを指さしながら笑っている、そんな感覚でした。

学校に行くのが苦痛になり、2,3度勇気を振り絞って「学校に行きたくない」と親に訴えてみましたが、「行きなさい」「休むなんてみっともない」の一点張りで無理やり登校させられました。

足がすくむのを、やっとの思いで一歩一歩押し出しながら、教室まで向かう階段を上ったことを、今でもはっきりと覚えています。

一緒に登校していた友人は、「教室が怖い訳なんかないでしょう?」「何を変な事言ってるの?」と理解できない様子でした

自分を理解してくれる人は誰もいない、そう感じました。

ひどい風邪で休んだ時も、他の子は元気なのに、なぜ休むのか、と親に責められました。
「①親の言うことを聞く 
 ➁もめごとはすべて自分が我慢して人に譲る 
 ③世間体がよく問題は起こさない」という

“いい子”でないと、自分は人として認めてもらえない

とはっきりと感じました。

嫌な事も引き受けるのが義務と思いこむ日々 

~自殺を考え、うつ状態に~

そのまま高校に進学。いじめこそなかったものの、周囲に同調してばかりなので、文化祭等の学校行事では、人が嫌がる役目を、1人でたくさんこなすはめになりました。

嫌なことが嫌、と言えず、むしろ引き受けるのが自分の義務のように感じるまでになっていました。

「人が嫌がることを進んで引き受けるのがいい子」

だと、すっかり刷り込まれていたのです。

嫌だけど引き受けなければいけない、引き受けるとまた新たに頼まれる・・・こんな負のループが生まれ、頭の中は真っ白になり、

初めて自殺を考えました。

この頃、1つ年上の先輩が声をかけてくれ、交際を始めました。

最初は「彼氏のいる自分」という新しい価値(本当の自分の価値とは違いますが)に喜んでいたものの、彼は

私に大切な用事があると知ると必ず「今すぐ来ないと俺は死ぬ」などと電話してくるなどして、振り回され続けました。

 あまりに何度も続いたので、死ぬと言っても口だけである事ははっきり分かりました。そのまま別れるという選択肢もあった、と今は思えます。しかし、当時の私は「彼氏のいない自分=価値のない自分」に戻ってしまう、と無意識に不安を感じ、振り回されるままになっていました。自分は価値あるもの、と思うために必死でした。

家でも学校でも誰にも気持ちを分かってもらえず、心身ともに人に振り回されっぱなしで体力的にもへとへとになった私は、高校3年になる前の春、

完全にうつ状態となりました。

振り回し屋の彼とは無事に縁を切ることが出来ましたが、

大好きだった本も読めず、表情はなく、朝は「起き上がらないと!」と思いながらも体は動かない。

“遅刻しそうになりながら、重たい体を引きずって登校の準備をしている”という夢を何度も何度も繰り返し見る、という

地獄のような日々が続きました。

初めて心療内科を受診 

~わずか10分で診察終了~


“みっともない”と嫌がる親を今回ばかりは説き伏せ、初めて心療内科での診察を受けました。

「高校3年生だし、受験のストレスでしょう。考えすぎないように、少し頭をぼんやりさせる薬を出しましょう」と、

飲み薬が出されて終わりでした。診察時間はたったの10分。

しかし、副作用によって余計に体は動かなくなり、

本は読むどころか手にすることすら難しくなりました。

自殺未遂と2年にわたる療養生活

 ~親の言うなりに生き、自分には生きる価値がないと思うように~

 “進学して当たり前”という環境で育ったため、受験勉強すらできない

自分は生きる価値はない

少しでも体が動く時は自殺未遂を繰り返しました。

そのまま2年間の間療養生活を送りました。

気持ちは沈んだままでしたが、“とにかく進学しなければ”の一念で、体だけは少しずつ動く

ようになりました。

本当は哲学科に進学したかったのですが、「鬱になるような自分には希望の学部で勉強する資格はない」と思い込みや、親の言いつけもあり、自宅から最も近い、哲学科のない大学に進学することが決まりました。

志望大学の学部、合格後の第二外国語選択や将来の希望の職業の書類も親の意見により書き直しを強いられました。

“自分の意見や願いを持つことは許されない”

とより強く思い込むようになっていきました。

同時に、

“自分なんかが生きていてはいけない”

という思いがどんどん強くなりました。

事故や災害で亡くなった方のニュースを聞く度に、なぜ価値のあるであろうその人たちが亡くなって、

なぜ何の価値もない私が生きているのだろう、と自分を責めました。

死にたい気持ちと、死ぬ時に誰かほかの人に迷惑をかけてはいけない、という気持ちのせめぎあいで苦しみ続けました。

どんなに忙しくても、頼まれた仕事が断われない・人に頼めない

 ~1年間で4回もの転職~

生きる気力すらない自分が、社会に出て働けるのか?大きな不安と疑問を持ちながらも人並みに就職活動をして、内定を得ました。

しかし、就職後は職場内での人とのやり取りがどんどん辛くなり、

1年間で4回もの転職

を繰り返しました。

最後に就いた事務の仕事をしていた時、4本の電話が同時に鳴ったことがあるます。同僚は皆おしゃべりに興じていて、「手伝って」の一言が言えない私は、同時にかかってきた電話4本をたった1人で対応しました。たった一言頼めばいいだけなのに、“人に迷惑を掛けたらだめ”という思いや、同僚がどんな顔をするかを考えると、それすら出来ないのです。

そのうち

毎晩動悸がして眠れなくなり、起立性障害を患いました。

その会社を最後に、しばらく実家に引きこもりました。

若く体力のある盛りなのに、短い社会人生活でした。

外を歩きたくても、昼間に20代の若者が歩いているなんて、不審者と思われるのでは?と不安になり、散歩にも 買い物もいけない状態になりました。

自分は恥さらしの役立たずで、生きているだけで世間の迷惑になっている

とおもいました。

そんな中、27歳でご縁があり結婚しました。

新たな生活が始まりましたが、他人の視線が怖く、買い物以外はずっと家に引きこもる状態でした。

夫婦生活では必要もないのに自分が謝ってしまう事が多く、自分の存在をどんどん小さく感じるようになりました。

人の目を気にしてばかりの子育て

 ~自分の想像に自分でおびえる悪循環~


31歳で念願の子どもを授かりました。
子どもが立てるようになるまでは家の中で子どもと2人、楽しい日々を送りましたが、それもあっという間です。子の成長とともに公園デビューの日が訪れました。

近所の公園に行くたびに、「変な人だと思われないか」と他人の目が気になり、他のママとどう会話をしてよいか分かりませんでした。また、親子ともに他人に迷惑をかけてはいけない、という思いから、自分と子供の一挙手一投足にハラハラし通しの毎日を送る。仮に誰も公園にいない時でも、近所の家の人がうるさがっていないかと、びくびくしながら過ごしていました。

そのうち、幼稚園への入園が迫ってきました。月一回の幼稚園入園前の慣らしクラスでは、失敗なく振舞わなくては、と思い煩い、更に先生や周囲のママたちの表情が気になり、

登園前日には毎回眠れませんでした。


実際に何か言われたりされたりしたわけでもないのに、勝手に「変に思われている」「失敗してはいけない」と思いこんで、勝手に1人おびえていたのです。完全な一人相撲でしたが、自分ではまったく気づいていませんでした。

PTAの心労で原因不明の病で救急搬送

~3度目の命の危機~

長女が小学校2年の時にPTA副会長となりました。親切で人づきあいが上手なママ友達、優しい地域の方々にも恵まれ、段々と人と会う事自体には慣れてきました。

しかし、意見の相違があった際には声の大きな方についつい賛同してしまいました。
反対意見を言う勇気がないというよりは、

反対の事を思う自分がおかしい、と感じてしまうのです。

心にモヤモヤを抱えたまま活動を続けました。

そんな状態を続けるうち、なぜか自分とは反対の意見の代表者になってしまうこともありました。

心と体がばらばらになる感覚に陥ってゆきました。

その翌年、別の役員を引き受けましたが、その10か月後、

急性十二指腸潰瘍炎で救急搬送されました。

通常の人が疾患する部位とは違う部位に異常があり、「見たことがない症例なので診断もつかず、処置方法が分からない」と医師に告げられました。先生方も看護師さんも、治す方法を必死に探ってくれましたが、

当時の私には死刑宣告のように感じられました。

あれだけ死にたかったのに、まだまだ幼い子どもたちの将来を考えると、死んでもよい気持ちの一方、もうひと頑張りしなければ、という気持ちが頭をもたげました。

カウンセリングとの出会い

~本当の自分を取り戻す~

療養生活を送るうち、カウンセリングに出会いました。

もともと本好きだったので、体調の良い日には自分でも

心理学系の本をそれこそ貪るように読み漁りました。

理論の理解はもちろんのこと

自分に試せる心理療法は自らの心と体を実験台に、次々試してゆきました。

そのうち、

無意識に自分で自分を責め続けていたこと


に気づきました。

自分を許し、他人と自分の境界を意識して、相手にうまく意見を伝える方法などを学んでゆくと、

不思議と体調も回復に向かってゆきました。

学歴や、交際相手のいるいない等、相対的な価値でしか自分の存在意義を確認できていなかったことも、振り返ってみてよく分かりました。

自分には自分の存在意義があり、自分の意見も持っていい、

ありのままでいいということが身に染みて分かり、

温かい涙がとめどなく溢れ出るような気持でした。

自分で自分を認めることが、こんなにも温かい気持ちになるなんて、今まで知らなかったのです。

他人に助けを求めてもよい

という当たり前の事が出来ていなかったことや、

自分を大事に出来ると他人をより大切にできることにも気づきました。

最も大きかったのが、【HSP・アダルトチルドレン・大人の愛着障害】という症状名を知ったことです。

他人の微妙な空気を読んでしまう自分は頭がおかしいのでは?と思い、また、空気を読んでしまうがゆえに他人の意見に引きずられたり、言いなりになっていたりしがちでしたが、5人に1人の割合(20%!!)で同じ傾向の方がいらっしゃる事、対応策がちゃんとある事が分かり、

心の底から救われた思いになりました。

つねに人の顔色を伺うアダルトチルドレンに関しても、子どもの時の寂しさが原因の大人の愛着障害も、過去の体験が原因で治らないと思っていました。

しかし、現在の自分にアプローチすることで、穏やかにありのままの自分を認め、自分の失敗さえも笑って受け入れられるようになる、と分かりました。

40年間苦しんでいたのはなんだったのか、と思うくらい、人生がすっかり好転しました。

大金が手に入ったわけでも、急に美人になったわけでもありません。
でも、

一気に一生ものの幸せを手に入れたのです。

それから、同じような状況の人々に少しでもはやく負のループから抜け出してほしくて、カウンセラーを志す事になりました。

日本人の平均寿命は女性で87.74歳、男性で81.64歳です。
(2021年7月 厚生労働省発表)

残りの人生、苦しんだままではあまりに辛すぎます。

それに、幸せな状態でいる人は、周りにいる人も幸せにすることができるのです。

自分も好き。相手も好き。

 ~誰もが心穏やかに、安心して暮らせる社会を目指す~


気づきやすい体質や、幼いころからの環境で、自分を責めたり、本当の気持ちを出せない方は沢山いらっしゃると思います。

やりたいことがあっても「他人にどう思われるか」「どうせ私がこんなことしても、似合わない、何の役にも立たない」とあきらめている方も、大勢いるのではないでしょうか。

しかし、そんな方も、やりたいことを、人目を気にすることなく楽しんでほしいのです。

そんなあなたの笑顔を見て、楽しい気分や幸せな気持ちになってくれる人は必ずいます。

あなたが幸せでいられる社会は、幸福な社会です。

誰もが自分も相手も好きでいられ社会、心穏やかに安心して暮らせる社会を作るのが私の夢です。

どんな人も心穏やかに安心して暮らせる社会を作るためにも、まずはあなたから幸せになりませんか?

心配はいりません。あなたの幸せは周りを幸せにします。
生きづらさを手放して、自分らしく軽やかに生きる毎日を手にいれましょう。